今年の6月に開催された「シン・沢屋交流会」にて、沢屋のブレインことキノポンからこの岩壁の名前を聞いた。
この岩壁は1975年2月の岳人に「未登の岩壁」として取り上げられ、同年夏、たちどころに登攀倶楽部と高知グループ・ド・ロックによって登られた。一時話題を集めた壁である。
最近では春期の登攀として約400mの氷のライン「針と糸」が登られているようだが、無雪期の再登記録は聞いたことがない。壁のスケールと情報の少なさに惹かれて挑戦してみることにした。
三連休で賑わう馬場島から、人の気配が全く感じられない白萩川へ。西仙人谷出合の10m滝を左から超えると空気が変わった。雪渓からの冷風、通行不能滝からの飛沫。右手には岳人に載っていた巨大なハング。ここが白萩川側フランケ下部岩壁だ。登攀開始。1ピッチ目として通行不能滝を右から登る。滝上からルンゼ、コーナーを2ピッチ登り一旦下降した。
翌日早朝、昨日の到達点までユマール。引き続き2人で交互に登っていく。冬は雪崩の通り道になるからか、残置ボルトは見つからない。途中、遠くのハング下に雪崩から逃れたボルトを発見したときは感慨深かった。登っているときは自分たちが壁のどこにいるのかわからなくなる。気が付くと、反り立つようなリッジの中央を登っていた。長い岩壁が終わりロープを解いたものの、今度は急な草付きが続き神経をすり減らす。一度パートナーが落とした落石が横をかすめて肝を冷やした。小窓尾根上の小ピークに到達したのは18時前。好天時のビバークはいつも楽しい。
3日目、スマホのアラームで起床すると、早月尾根を行く登山者の灯りが見えた。第5ルンゼを難無く下降するも、西仙人谷出合で巨大なシュルンドに阻まれた。雪渓は今にも崩壊しそうなので、リスクを減らす為に時間をかけて側壁を1ピッチトラバース。雪渓末端に降りられそうなので懸垂の準備をしていると轟音が。これから通過する雪渓末端が崩壊したのだ。形を変えたばかりの雪渓末端を急いで通過し、更にもう2ピッチトラバースして下部岩壁の取付きに戻った。