2022年6月27日月曜日

谷川岳一ノ倉 滝沢下部トラバース~第三スラブ~横須賀ルート

先週末、三スラを登った。


トレーニング山行の候補として幽ノ沢滝沢大滝が上がっていたのだが、先週不完全燃焼に終わった大滝モンスターSの強い希望でかの有名な三スラへ。無雪期の三スラは、有名な割に最近の記録がない。2000年代に入ってからは登られているのかどうかも不明。

ネットで調べたところ、90年代の記録でブロック雪崩による事故報告があり恐ろしくなった。流石に今では雪塊はないと思うが。。

藤岡で車中泊をしている時、初登攀時の記録「初登攀行」を読み返す。滝沢へのアプローチで雪渓が崩れて人が亡くなるのを目の当たりにする生々しい記述があるのだが、それが当時7月。雪渓の状況としては今の6月と同じだと想像できた。


3時過ぎに藤岡で合流。コンビニへ寄ったりギアを合わせたりで結局5時ごろ歩き始めた。雪渓崩壊のリスクを考えると明るくなる4時に一ノ倉出合に着くようにしておくべきだったと内心後悔する。

5:45 一ノ倉沢出合に着き、チェーンスパイクを装着。正面に滝沢下部があり、水が宙を舞っている。傾斜強い。。雪渓はしっかりと繋がっているので、テールリッジには乗らずそのまま歩き続ける。テールリッジ上には数パーティー、中央稜や南稜に既に取り付いているクライマーもいた。

雪渓上からルートを確認。上部に雪渓は見えないのでブロック雪崩はなさそうだ。

いざ滝沢の方に近づいてみると、雪渓の端は見事にシュルンドとなっていた。下降できるポイントを探す羽目に。ロカのピックを支持力にして急斜面を登り、唯一下に降りれるラインが見つかった。太陽はもうすっかり上がっており危険だったが、考えても無駄なので無心に降りた。

「初登攀行」に書かれていた事故の現場もこの辺だったのかもしれない。無事にスラブに降り立ち、死ぬ可能性のあるポイントを越えたと思った。

滝沢下部だが、「下部ダイレクト」「トラバースルート」のどちらを登るかは見て決めることにしていた。まず最初に滝沢下部ダイレクトを見たが、完全に岩のラインで、中間部からほぼ垂壁に見えた。ボルト、ピトン類も一切見えない。フリー化されているとはいえ、もともとのラインがボルトラダーだったので登れないかもしれない。自分からパートナーに、ボルト類のない時代に登られた「トラバースルート」に行きたいと提案した。

とりつきを探して右上へ上がっていく。ビレイ点をどこにするか相談。右手バンド状でピトンを1枚打ち、ここからロープをだした。Sリードでリッジやや右にロープを伸ばす。初っ端から相当脆いようで、石をたくさん落としている。Sはあまりの脆さに別ラインでやり直してもいいと思っていたそう。Sが構築したコーナー状のビレイ点へ。そこら中浮石だらけで、頭上からも岩が落ちてきそうで怖い。とりあえずビレイしてもらい先を伺う。

左トラバースに入る為、最初1mほどロワーダウンしてもらった。クラックなのか、ブロックの積み重ねなのかなんとも言えないクラックがあったので、打音検査をしながらカムとフックでエイド。なんとか木に到達する。多少安堵だが、あまりにグラグラでこれも根こそぎ落ちるかもしれない。慎重な三点支持で登り続ける。バンド状を左にトラバースしていると、一段下のバンドに朽ちたピトンとスリングが見えた。いま自分が登っているラインが唯一の登路に感じていたので、トポにあるように、オリジナルの終了点へ行くバンドは消滅したのだと理解した。途中軽い飛び降りを交えて引き続きトラバースし、木でピッチを切る。

Sを迎え、3ピッチのラインを考える。

左にトラバースは逆相の岩で不可。左下の木に向かってロワーダウンもできそうだが、セカンドが詰むのでこれも却下。結局、Sが真上にあるハングした凹角へ向かう。相変わらず脆そうで、石を投げながら進む。ビレイ点を右に伸ばして落石回避できるようにした。トーテムの赤を決めて、カムエイドを始める。残置ハーケンを見つけたと言われたが、あまりに朽ちているようだ。フォローしてわかったが、岩と岩の隙間にギリギリカムを決めた際どいエイドだった。なにより驚いたのは周囲の岩のフリクション。ジットリと湿っていて、とても滑る。足を突っ張っても不意スリップを繰り返しながらなんとかカムを回収して上がった。3ピッチ目は後半も厳しく、あまりに脆い破砕帯となっていた。不意に岩を落としたらロープが切れて死にそう。Sは凄まじい量の岩を雪渓に向かって落としながら進んでいた。

ここでも朽ちたピトンが1本あった。ついていたスリングの撚り方からも時代を感じた。

木のビレイ点で交代。4ピッチ目、藪から左にでると、すぐに滝の落ち口が見える。ただしそこに行くまでが悪い。五分五分くらいの結構な確率で落ちそう。なんとかリスを探し、ピトンを打ってもすぐに剥離する。浮石も多いのでいけないと判断。仕方なく、草付と露岩のMIXで左上した。ここしか登れるところがなかった。驚くべきことに、この辺の草付には過去に人が登ったかのような都合の良くホールドになるような穴があった。最近だれか登ったのか。それか、昔登られた時に握り固められた圧が強く、時を経ても回復していないということなのだろうか。

突然、遥か上方から凄まじい音が聞こえてきた。右壁のリッジ上を登っていたので、咄嗟に体を右に傾けながら上をみる。多数の岩が転がり落ちてきた。岩雪崩。今かよ。落ち口の右岸側を10程の岩塊が転げ落ち、クラスター爆弾のように雪渓、シュルンドへ降り注いだ。

Sとなにが起きたか会話する。「今登っていいルートなのか?」

滝沢下部右岸側、ダイレクトルートを登っていたら、、それかもう1-2時間早く登っていて左に移っていたら。振り返って考えると死んでいたかもしれない。

とりあえず立ち往生しても仕方がないので、このピッチを登り切ることに集中する。

やがて草付から岩に移る。残置ピトンが見つかり、そのすぐ近くにピトンを決めて中間支点とした。この辺は乾いた岩でチョークを使用したが、ルート全体を通して最初で最後の出番だった。途中かなり追い込まれながらも傾斜の落ちるところまで辿り着いた。

斜度の強い露岩から脱してとりあえず安堵する。硬い岩に決めたキャメ#3一個でビレイ。

Sを迎えて、既に12時半。とにかく懸念の滝沢下部を抜けられた。

3スラに入れば高速道路のようにスイスイ登れたという過去記録があったそうなので、とにかく登ることにする。この時点で、僕自身数十分前には岩雪崩に対する戸惑いがあったはずだが、Sには微塵の迷いもないようだった。

ここでは開けていたのでルートの展望が読めた。見た感じ特別落石のリスクが高いようにも思えなかったので、敗退する気持ちも消えたのだと思う。いままで二人で登っている山の壁と何ら変わりないと。Sは一杯になったらコンテでと言い、ロープを垂らしてトラバースしていった。傾斜が落ち、沢のぼりのような感じになったのでランニングコンテで進んだ。本流横断のところでは水を2L汲んだ。おそらくトポで言う第一バンドか。

再び傾斜が強くなるところでSがビレイ点を作り、合流。スタカットに切り替える。

岩はトラバースルートに比べるとかなり硬くなり、どんどんロープを伸ばす。クラックはないものの、リスが多く、要所でピトンを決める。ハングしたにビレイ点になりうるところがあったがスルーし、ひらがなの「つ」のような形で60伸ばしたところでピッチを切った。

ビレイ点はピトン2枚。F3の途中と思われる。

次、Sリードで頭上のハングを左から超える。ハング以降もかなりロープを伸ばしていた。落石直撃ラインでビレイしていたので、数回あった小さな落石がかなり怖かった。落石が降ってきたら、じっと凝視して直前で避ける。それとこのピッチでは、左側にキャメ#1を決めた隣にピカピカのハーケンがあったといわれる。まさか、最近の残地!と驚いて回収するとチタンハーケンだった。製造は91年。ほかの鉄製ハーケンはすべてボロボロになっているなか、ピカピカのまま突き刺さっていた。回収して上がる。ビレイ点近くで小ハングを右から巻いたラインで登っていたが、弛んだダブルロープの一方がハングに引っ掛かり、直すのにひと手間かかった。


次、自分のリード。左のコーナーを登る。プロテクションがいつとれるかわからないので、とれるなら必ず取っておきたい気持ちもあるが、時間も無駄にしたくないのでいい塩梅で登る。出だしが簡単だったこともあり、ロープがいっぱいになったところで多少コンテで伸ばすことにした。が、コンテにしてから少し悪くなり、ビレイ点に十分なピトンがなかなか決まらず難儀した。左上のテラスに3枚羽が設置したキャメ#3とピトンでビレイ。

次、Sリード。トポで言うF6か。

A1の表記だったが簡単に超えて、より傾斜の緩んだスラブへ出た。ここから、コンテで登りましょうと言われて自分のリードからスタート。

中間支点にキャメ#1を決め、マイトラをかませる。かませなかった青ロープをSに外してもらい、ロープ1本状態に。いっぱいになったらコンテに切り替え。やがて右にコルがあり、スラブから草付へ脱出する。このあたりで、ロープが重すぎて相当つらい登りになってしまった。中間支点は2本くらいしかないのに、ありえない重さ。水を吸ったせいだろう。特に、古くなった青のアイスラインは酷かった。Sに20mほどオレンジロープを束ねてもらう。この最中すでにロープの意味がないが。結局、Sがコルを越したところでロープを2本ともしまうことにした。

ロープを手繰るのもバランスを崩しそうだったので、ピトン2枚でセルフを取って作業した。ここから草付と露岩が続く。

途中、Sが衝立岩のとりつきを見て死亡事故ではないかと言い始めた。どうやら救助隊のような人が、ストレッチャーを投げたらしい。ヘリがきて収容している様子だったが、僕はそう信じたくないので骨折とかじゃないかと言った。

自分たちが今いる場所もスリップしたら死ぬ場所だ。どこかで見た滑落想定の趣味レーション、人間がゴムまりのように弾みながら落ちていくCGを思い出す。

ロープをしまってからはSが先行し登っていくが、Sは50Lのザックで自分は22Lだ。このハンデがあるにも関わらず、自分は遅くて、こういうの本当に向いてないなと思う。

一旦少し傾斜がゆるんできた。

そろそろ終わりが近いと思ったあたりで、気が付いたら傾斜が急になっていた。

(リングボルトが一つ打たれていたところから悪い)

Sが相当悪いです!と叫ぶ。僕はラインを変えて易しいところを探すも、どうしても難しいところで動けなくなってしまった。ロープだしましょうかとしきりに言ってくれていたこともあり、垂らしてもらう。何度か失敗したものの、4回目くらいで届く範囲にロープが垂れた。待ってる間にアプローチシューズに履き替えた。FIXしてもらいマイトラをセットし登った。落ちなかったけど自分にはこの草付フリーソロは無理だ。。

そこからも熊笹の草付が続いた。結局、草付を超えるのに1時間半かかった。

いよいよドームの基部にでた。小さな雪の塊があった。

正直、草付フリーソロで相当に消耗してしまったようだ。Sは重荷を担いでいたのに、まだ元気な様子で、夜間登攀しましょうと言っている。聞くと、ブヨがいることもありここでのビバークは嫌だとのこと。

クライミングシューズを履くのも面倒で、ここから全部リードしてもらうことにした。

2人で登っていて、こんなことも初めてだなあと考えながらビレイする。

横須賀1ピッチ目。今までとは打って変わって岩は固い。残置一応の使用に耐えうるものがたくさん残っていた。時間も時間だし、Sは残地も使用して時間優先で登っていく。フォローの僕が登り終えるころには完全に夜になった。

2ピッチ目、凹状からテラスまで一気に伸ばす。

3ピッチ目、さらに易しくなり一気に伸ばす。

ドームの頭についた。本当に疲れていたのでビバークを提案するも、Sはまだまだ元気で登り続けようという。まあもう少しだし、と思って登る。

マッターホルン岩壁などをヘッドランプで照らしながらリッジ上を進む。夜なので景色がよくわからないのが惜しい。簡単になってきたのでツルベで進む。

マッターホルンの左のルンゼ?をのぼりコンテ。雪渓の脇を通り、やっとのことで国境稜線に出た。

下山も長いし、4時間も経てば明るくなる。ご来光を見ようぜと言って、山頂付近でビバークした。寒くて途中寝れずスマホをいじったりした。けどなんだかんだ眠れるのがビバーク。

気が付くと周りは明るく、ご来光はガスの中でよくわからなかった。

「日の出の時、大勢が山頂に押し寄せるのでは?」とSに言われていたが、結局だれも来なかった。

高校生以来の山頂を踏み、西黒尾根を下山した。

早朝の下山。とても新鮮。最近登攀からむとヘッドランプでの下山ばかりだったからとても良かった。

Sは下山で疲れるとM字開脚して座り込む癖がある。
途中50Lのザックを交換し下山した。

下山後、Hさんから心配のラインが入っていた。
昨日の遭難がニュースになっていること、そして死亡事故だったことを知る。

温泉にも食事にも寄ることなく、藤岡で解散した。
数時間前まで寒さに震えていたとは思えない、うだるような暑さだった。

3:00 藤岡

5:00 谷川岳ロープウェイ駐車場

5:45 一ノ倉沢出合

7:00 滝沢トラバースルート取り付き

12:20 第3スラブに合流

17:00 第3スラブ上部の草付帯

19:20 ドーム 横須賀ルート

22:40 国境稜線

4:45 下山開始

4:55 トマの耳

5:10 肩の小屋

8:40 下山


今まででこんなにも死を意識する山行はあっただろうか。

「初登攀行」に書かれていた事故の数々。

死のリスクを感じた雪渓の崩落、トラバースルートの浮石、岩雪崩、上部草付。

そして向かいのパーティーの事故。

トレーニング山行として登ることになった訳だが、正直恐ろしすぎて、精神的に疲れてしまった。こんな危ない山をずっと続けることはとても出来ない。


亡くなったクライマーのご冥福をお祈りいたします。

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